チワワs in Ann Arbor
アメリカのミシガン州デトロイト近郊の街、アナーバーでの駐在生活。チワワのハナとマロのことや、日々の暮らしについて綴っています。ホームステイ&留学で培った英語力を活かして、地元密着型のアメリカ生活を送るのが好き。2009年1月、長女リサ誕生。

   
プロフィール

Emi

Author:Emi
* * * * * * * * * *
2006年8月から、
結婚して2度目の米国駐在中。
08年5月にKY州ルイビルから
MI州アナーバーへと
引っ越してきました。
チワワ2匹を連れて。

長年の不妊治療の末、
ルイビルでのIVFによって妊娠。
2009年1月、アナーバーにて無事に出産しました。

詳しいプロフィールは、カテゴリ内の
「自己紹介」をどうぞ。


2007年4月以前のブログは、こちら↓
過去ログ チワワ in Louisville



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アメリカでの不妊治療 ( その5 )


判定日から1週間後、いつものApplebee'sで私の送別ランチをしてくれた
デニス、ロクサーン、ケイティ、ジルの4人に妊娠を報告。

ケイティはアゴが外れたみたいに口を開けてビックリし、
ジルは 「 I think I'm gonna cry. ( 泣きそう・・・) 」 と言って目を潤ませ、
デニスは 「 夢が正夢になったわ! 」 と満面の笑顔で喜んでくれました。
そう、私がDr.ナカジマのところに通い始めた頃、
「 Emiが妊娠する夢を見た 」 って確かにデニスが言ってたんです。
その時は 「まさかね~、人生そんな甘くないよな~」 なんて思ってたけど!

そして、私に運命の医師、Dr.ナカジマを紹介してくれたロクサーン。
roxanne with dogs
(  写真は、引越し荷物を出す日に、最後にもう一度ハナマロに会いたいと言って
   ダンボールだらけの我が家に来てくれたときのもの )


私が 「 I'm pregnant...... 」 と言ったら、
顔を真っ赤にして、目に涙を浮かべて、ギューッとハグしてくれ、
「 うまくいくようにとずっと祈っていたの! 」 と。

それから、1回目のIVFがダメだった時、『 自分がDr.ナカジマを紹介して、
Emiたちに大金を使わせてしまい、それでもうまくいかなかった 』 と、
すごく申し訳なく思っていたの、とも言っていました。
そんな思いをさせてしまっていたなんて、ごめんね、ロクサーン。
私は、たとえルイビルで妊娠できなかったとしても、Dr.ナカジマに会えて
彼にラパロをやってもらい、IVFを受けられただけでも本当に良かったと思っていたのに。
だけど、もし今回私が妊娠できていなかったら、ロクサーンは
そのまま思いっきり自分を責め続けていたでしょうね。
そう考えると、ここで妊娠できて本当によかった・・・。



マージャン仲間には、私の最後のマージャン・デー@イボンヌさんち にて
報告しました。

嬉しいニュースを報告した直後の写真。
at Yvonne's house

みんな大歓声をあげて喜んでくれました。
レイクハウスへの旅行の時に打ちあけて以来、ずっと応援しててくれてありがとう。


Dr.ナカジマには、妊娠が判明してから会うチャンスがなかったので
面と向かってお礼を言うことができませんでしたが
無事にお腹の子が生まれたら、写真と一緒にTHANK YOU カードを
送ろうと思います。
病院には、Dr.ナカジマに妊娠させてもらった女性たちから送られた
赤ちゃんの写真が、壁いっぱいにビッシリと貼ってあるので、そこに加えてもらえるように。


そして判定日から11日後の5月16日、
ルイビルからミシガン州アナーバーへと引越したのでした。


引っ越し後も、妊娠11週になるまでは
お尻への黄体ホルモンの注射、小児用アスピリン、お腹に貼るパッチは
続けなくてはいけませんでした。
膣へのジェルは、妊娠13週まで続けました。

問題だったのは、お尻への注射。
ルイビルではSちゃんに打ってもらっていましたが、
引越し先のアナーバーにはお願いできるような人など誰もいない。
夫は相変わらず無理。
自分でやるしかない! ・・・ということで、頑張りましたよ、えぇ。


打つ場所はお尻の外側上部 ( 腰骨の高さ ) なので、一応手は届くのだけど
体を思いきりひねって注射を打たねばならず、何度も背中がツリそうになりました。
しかも、

この太くて長い針ですから!
hCG

自分で打った最初の2回は、貧血をおこして床にヘタリこんでしまいました、はは。

毎日、左右交互に打つのですが、左の時はやっぱり難しかったですね。
左手で打たなくてはいけないから。



引っ越してきてから約6週間、毎日自分でお尻に打ち続け、たまった注射器の残骸。
syringes
薬局からもらっていた注射器専用のゴミ箱は、小さくてすぐに埋まってしまうので、
その後はフタができる固いプラスチックの空き容器などを利用するんですね。
私が使ったのは、料理油の空き容器。
中にびっしりと注射器がつまっています。
恐ろしく太い針に負けずに頑張って打った証・・・私にとっては勲章のようなもの。
そのうち、特別な廃棄業者に頼んで処分しなくてはいけないんですけどね。


ミシガン大学病院を選んだのは、Dr.ナカジマから薦められて。
産科に行く前に、まずは不妊治療科のDr.John Randolphを訪ねるようにと言われ
5月29日、妊娠発覚以来初めての超音波検査を受けました。
そこで、双子であることがわかったんです。
2つの胎嚢が見え、2つの力強い心臓の音を聞かせてもらうことができました。
( その時の写真は → コチラの記事内にあります )

残念ながら、数週間後に産科で受けた2度目の超音波検査では
1人しか確認できなかったのですが、
初期の流産は、ほとんどが受精卵自体の染色体異常などが原因だと
ドクターから説明を受けました。
あなたのせいではないのだ、と。

何らかの異常を抱えていたにも関わらず、着床してくれて、そして
2人並んだかわいい姿を見せてくれて・・・
この卵ちゃん、頑張ってくれたんだなぁって思います。

よく考えたら本当に不思議。
だって、日本でIVFを受けた時は、先生も大絶賛するくらいの良い胚盤胞を
移植したことだってあったのに、妊娠に至らなかったし、
今回Dr.ナカジマにやってもらった時も、1回目はダメだった。
7個の受精卵のうち、1番目と2番目に良いグレードのものを選んで
移植したにも関わらず。
そしてその時、3番手、4番手だった卵たちが、今回揃って着床してくれたのだから。

卵の真の生命力って、見た目だけでは判断できないものだな、って
つくづく思いました。
「 人間、見た目じゃない 」 っていうのは、受精卵の頃からいえることなんですね^^。

それから、今回の体外受精では、過去にやっていた 「妊娠に効くもの、効くこと」 を
一切やっていなかったのも、不思議というか皮肉というか。
過去に手を出したものは、挙げたらキリがないけど・・・

鍼、漢方、ざくろ、マカ、高温期のパイナップルやグレープフルーツ、
適度な運動、骨盤体操、お灸、足湯、お腹にカイロを貼る、
布ナプキン、腹巻、イソフラボン、足ツボ、岩盤浴、生姜紅茶、
妊娠するイメトレ、妊婦さんに書いてもらう富士山、養命酒、
黒い食べ物、にんじん、子宝祈願、木村さん(知ってる人は知っている)、

・・・他にももっとあったかもしれません ( 笑 ) 。

今回は、上記のこと、一切やっていなかった(摂取していなかった)うえに
基礎体温すら計っていませんでした。

だけど

ありとあらゆる様々なものに手を出したこと、トライしてみたこと、
後悔はしていません。
「 できることは全てやる 」 がモットーでしたから。


今でも、自分の大きなお腹を見て 「 私、本当に妊娠しているんだなぁ 」
と不思議に感じています。
まだそんなこと言ってんの? と言われてしまいそうだけど、
本当にいろんなことに挑戦しては失敗して、の繰り返しの5年半でしたから。
自分が妊娠する日なんて来ないのかな、って何度も絶望してましたから。


もしもルイビルに駐在に出なかったら
もしもCreative Memoriesのコンサルタント、Sharonに連絡をとらなかったら
(Newcomers Clubのことを知らずにいたはず)
もしもNewcomers Clubでデニスが声をかけてくれなかったら
もしもデニスとロクサーンがお友達じゃなかったら
もしもロクサーンがDr.ナカジマの奥さんとお友達じゃなかったら・・・

どれが欠けても、今の私はなかったでしょう。


一緒に病院にまで行ってくれたデニス、ロクサーン、
治療過程をいつも気にかけて連絡をくれたケイティ、ジル、
お尻への注射を指導してくれたLori、
お尻への注射を行なってくれたSちゃん、
移植日の送迎をしてくれたイボンヌさん、
私の体を気遣ってくれたマージャン仲間たち、そしてボランティアの仕事先の皆さん、
じっくりと話を聞き、私にとっての最善を常に考えて全力を尽くしてくれたDr.ナカジマ、
どんな些細な質問にも丁寧に答え、親身になってくれたナースのイボンヌさん、
不妊治療に前向きに取り組むことを教えてくれたロビンちゃん、
応援し励まし、愚痴をきいてくれた日本の友人たち、
プレッシャーにならないようにと影ながらずっと応援していてくれた母、
そして、経済的・精神的に常にサポートしてくれた夫。

それ以外にも本当にたくさんの人たちの優しさや協力、支え、
祈り、があってこそ授かった命だと思っています。
決して自分だけの努力ではない・・・。


あれだけいろいろやっても妊娠できなかった私の体に
新しい命が宿った、この奇跡が、赤ちゃんを望む全ての人に訪れますように。


そして、どうかどうか、お腹の子が無事に生まれてきてくれますように。



< アメリカでの治療中、参考にさせてもらったブログ >

Baby Stork -アメリカでの不妊治療記録-
シノビノ日記 アメリカで不妊治療~双子妊娠へ



< 日本での治療中、参考にさせてもらったブログ >

不妊治療の培養室から
胚培養士さんが書いていらっしゃるブログです

オッパイ星人の母
ちょっと異色ですが、明るく治療と向き合う元気と笑いをもらえました^^




***2つのブログランキングに参加しています。

h&mbanner

癒してくれたハナマロの2匹にも感謝してるよ~。

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不妊治療に保険が適用されるようになったらいいなぁ。



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アメリカでの不妊治療 ( その4 )


無事に解凍過程を乗り切ってくれた2つの胚盤胞をお腹に戻した私。

それから10日後の判定日までは、お尻への注射と膣へのジェルで
黄体ホルモンを補充し、お腹に貼るパッチで卵胞ホルモンを補充し、
小児用アスピリンを飲んで血栓を予防しながらも、普段通りの生活を送りました。

「 普段通り 」 というのは、本当にそのまんま文字通り。
それまでとなんら変わらない、忙しくも充実した日々を送ったということです。
ミシガンへの引越しを間近に控えていたので、もしかしたら
それまで以上に忙しかったかも。


ルイビルを去る前に会っておきたい人の中に、
ボランティアのお仕事先で一緒だったパットとナタリーがいました。
2人とはNewcomers Clubで知り合ったのですが、
私がこのお仕事を始めるきっかけは、ナタリーから教えてもらって
薦められてのことでした。


ピンクのカーディガンがパット、茶色い服がナタリー。
at audio studio


パットが、私の目をまっすぐに見て両肩を抱き、
「 You're gonna have a goooood life. 
( あなたはとっても良い生活 (人生) を送るわよ (送ってね) ) 」
と言ってくれ、なぜかそれで大粒の涙が止まらなくなってしまった。
いつも優しく声をかけてくれたパットとの別れが寂しかったというのもあるけど、
引越し先での新しい生活に不安を抱えていたせいもあるのかもしれない。


その後、ナタリーが私をハグしながら
「 引っ越したら、ひょっとして赤ちゃんがやってきてくれるかもよ 」 と
耳元でささやいたのです。

あれ? 私、ナタリーに赤ちゃんが欲しいと思ってること言ってたっけ?
思い出してみると、Newcomers Clubに入会した日、
皆の前でやった自己紹介の最後で
「 赤ちゃんが欲しいと思っているけれど、なかなか授かりません。
  コウノトリがどこかで迷っちゃってるのかも 」
と言って笑いをとったっけ。
そのことをナタリーは覚えててくれたようで。

お腹に受精卵を2つ抱えていた私は、ナタリーに伝えたくてたまらなくなり
「 実は体外受精を受けて、先日お腹に2つ卵を戻したばかりなの。
  Bless my embryos. ( 受精卵たちに恵みを与えて。 ) 」 と言ったら
ナタリーもパットも、私のお腹をナデナデしてくれました。

2人とのお別れに涙を流す私を見てモライ泣きをしてくれていた
ディレクターのアンや、アシスタントのマリーも
「 うまくいくといいね 」 と応援してくれて。



その後、判定日までに2回もチャーチルダウンズに行って競馬を楽しみ、
当然観戦しながらお酒も飲んじゃいました。 ( カクテルを1杯だけね )
( その時の競馬観戦のブログは コチラ と コチラ )
移植後だからって変に気を遣うのはもうやめちゃおう・・・って思ってたかな。
( IVF説明書には、お酒は控えるようにと注意書きがありましたけど ^^; )


そして迎えた判定日、5月5日。
ダメだろうと思っていました。
移植後しばらくは、黄体ホルモン補充のせいなのかちょっとお腹が
張るような感じなんですが、それがしぼんできてて
前回のダメだった時と全く同じだったからです。
体調の変化も何もなく、妊娠初期症状といわれるものなんかも当然なく。
もともと、新鮮胚に比べて凍結胚の移植は成功率が低い、
とは言われていたから仕方ないか・・・。
Dr.ナカジマが言ってくれたように、ルイビルでやれることは全てやった。
あとはそのうち日本へ一時帰国して、成育で最後のIVFを受けよう。
引越し先のミシガンでは、せっかくとってもらったワークパーミットを使って
働いて少しでもお金を稼ごう、治療でたくさん使わせてもらっちゃったから
・・・などなど、いろんな思いがかけめぐってたなぁ。

朝一番で病院へ行って採血を受けました。
前回と同様、やっぱり直接電話で結果を聞いて受け止める自信がなかったため、
IVF担当看護婦のイボンヌさんに
「 携帯電話の留守電に残しておいて下さい 」 とお願いしておきました。
そして、最後のボランティアのお仕事へ。
そう、この日、5月5日は、私にとって引越し前の最後のお仕事日だったのです。

仕事前に結果を知ってしまったら、辛くて悲しくて
最後のお仕事をキチンと成し遂げられないと思い、
仕事が終わるまでは携帯電話を見ませんでした。


パートナーのドナから、お別れのプレゼントにと本をもらいました。
with Donna

↑ この写真を撮った後、ドナ、ディレクターのアン、アシスタントのマリーと
最後のお別れをして、駐車場へと向かいました。
そして車の中で、携帯電話に残っている留守電を聞いたのです。
辛い結果を受け止める覚悟をして。

留守電から聞こえてきた、IVF担当の看護婦イボンヌさんの声は・・・

「 Hi, Emi. It's Yvonne. You ARE pregnant. 」

信じられませんでした。
放心状態で、息が止まりそうになり、真っ青な空を見上げたことを覚えています。
イボンヌさんのメッセージは続き、

「 hCGレベルは412。 とてもいい数字です。 
  もしかしたら2つとも着床したのかもしれない。 
  全ての薬をやめずに続けて。 明後日また採血しに来院してください。 」

というような内容でしたが、もう興奮しちゃって何が何だか ( 笑 ) 。


すぐに車を飛び出して、同じく車の中で携帯で誰かと話していたドナのところへ。
( ドナには治療のこと、何も話していませんでした。 )
尋常じゃない私の様子を見て何かを察してくれたのか、
すぐに電話を切って車から出てきてくれたドナに、

「 私、妊娠したの! 今まで5年半くらい、ずっとずっと子供が欲しいと思っても
  できなくて、それで今回5回目のIVFがうまくいったの。 信じられない。
  今電話で結果を聞いてわかったの・・・ 」

話しながら、涙がドバドバあふれて止まりませんでした。


夫エースにも、もちろんすぐに電話でご報告。
「 よかったねぇ! 」 と、なんだか他人事みたいな反応でしたね ( 笑 ) 。


その日の夕方6時、いつものようにお尻に黄体ホルモンの注射を
打ちに来てくれたSちゃんにも 
「 信じられないんだけど、うまくいったみたい。 妊娠したの。 」 と伝えたら
一緒に泣いて喜んでくれて・・・ありがとう。
今日が判定日だということは知らせずにいたんだよね。
前回、いつが判定日かをみんなに伝えていて、それで結局ダメだったことを
またすぐ皆に報告しなくちゃいけなかったのが辛かったから、
今回は誰にも言わずにいたのです。

夜6:30~8:30のESLに出席した帰り道、ふと思い出して
ドラッグストアで妊娠検査薬を買いました。
家で試してみると、初めて見る陽性反応。
本当に私、妊娠しているんだ・・・っていうか、
妊娠してると本当に線が2本出るんだ・・・って感じ?! ( 笑 )


それからしばらくは、自分が妊娠しているのがなかなか信じられなくて
( 体には何の変化もないので、仕方ないですよね )
毎朝、その2本線が浮かんでいるスティックを見ては
「 夢じゃないんだ 」 と再確認していました。


判定日の翌々日に受けた血液検査では、hCGレベルは1038、
さらにそこから1週間後には10,014にまで順調に増えていました。
hCGの値からすると双子の可能性は高いけれど、
判定日から3週間後に行なう超音波検査で見てみないとわからないとのこと。
その頃にはミシガンへ引っ越してしまうので、超音波はミシガンに行くまで
おあずけ状態でした。



・・・またまた長くなっちゃいました、すみません。
応援してくれた人の言葉や行動など、
個人的に後々までずっと忘れずにいたいと思う内容だったので。
しかも、自分でも予想していなかった、大どんでん返しの判定日でしたから。

たぶん次回で締めくくれると思います。




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